いつも読んでいただきありがとうございます。独自の子育て論を繰り広げているエシカルプレスですが、一見異端な子育てをしている我が家の息子をみて「一体どうやったらそんな子どもに育つのか?」と聞かれることがあります。そこで今後数回に渡って、我が子がどんな子なのか?そしてそれはどうやって出来上がったのか?ということを書いていこうと思います。少しでも「そんな子どもにしてみたい」と思われた場合のみ読み進んで頂ければと思います。
我が子は強い
基本的に強いです。腕力もさることながら、精神的にめちゃくちゃ強い。周囲には「自立してる」「中学生にみえる」と言われます。現在8歳の息子は小学校入学してすぐ、一人で留守番はもちろん、電車に乗って習い事に通い始めました。母親である私が学校の持ち物チェックをしたことはないし、朝の身支度をやってあげたこともありません。小遣いは自分で管理し無駄なものを買い食いすることもありません。
親から見ても実にしっかりしており、何かうまくいかないことがあっても解決する方法を考えます。間違えることも失敗することも多くありますが、毎度自分で解決策を講じています。七転び八起き、つまづき上手です。
実際、幼少期からメチャクチャ転んできました。転んでは膝から血を流して泣きかけたものです。
この場面での私の対応は、
❶コケそうな場所でも避けて通らない
❷コケそうになっても抑止しない
❸コケても抱きかかえない
❹コケて泣きかけた時じっと見つめる
といったことをしてきました。
要はコケさせるんですね、痛みを感じてもらう。
で、「痛いよね…次は手を出してみよっか!」と伝えます。
ちなみに「痛いの痛いの飛んでいけ〜」は言ったことがありません。痛みは、そんなもので飛んでいかないし 痛みに強くなるor 痛いのが嫌ならコケないようにするの二択しかないので。「痛いの痛いの飛んでいけ〜」は子供騙し。我が家は子供騙しはしない主義です。サンタクロースしかり(主題とずれるので別の機会で詳しく書きます👍)
子供の学びのチャンスを奪わない
先日、英語教室の先生に「多くの親御さんは、お子さんの受験や英検などにおける目標を設定されてます」と聞きました。「皆さん、お子さんが失敗される前に手助けされますよ」とも。私は、これをとても勿体無い、そして親の傲慢な行動だと考えています。
子供自身がコケて痛い目に合うからこそ、次コケないように工夫するものです。親に手助けされてコケずに済んだ子供は、痛みを知らないからまたコケそうになります。そして親が手助けする、コケそうになる、助ける、コケ…
親が近くにいる間はそれでいいかもしれません。
でも親と歩かなくなったらどうなるのでしょう…
危険回避能力や回避しきれなかった時の対処法をその子は知りません。
私は親が居なくなった時、一人でコケて一人で立ち上がる、次はコケないように工夫する、そんな子に育って欲しいと願っています。
故に、実際にコケてしまいそうな時、グラスに水を注ぐ時、お湯を沸かす時、一般的には危険とされる行動を抑止することは一切しませんでした。初めてのお茶碗はプラスチックではなく陶器だったし、ハサミも始めから刃物がついたものを与えました。お茶碗は割れ、ハサミで指を切りました。でもそれがどうした、学びだね、と側で見つめてきました。「Tシャツでいい!」と出かける息子を「寒いだろうな〜」と思いながら何も言わずに見送った翌日、一枚多く羽織って出かける彼を見て「やっぱりな(゚∀゚)」と思うこともしょっちゅう。
どうして親は先回りして学びの機会を奪ってしまうのか
親がそれらを抑止するのは、可愛い子に怪我をさせたくないからだと思います。でも、私からしたら単なる親のエゴです。水こぼされたら面倒臭いですからね。
*我が家の場合は、こぼれた後も自分で拭かせるので親の面倒はありませんが…
忘れ物を届けるのも宿題やりなさいと言うのも全てエゴだと考えます。担任や習い事の先生方に怒られちゃいますから。
*我が家は毎度怒られます…
要は、自分目線だと思います。無意識で自分を庇っている。
失敗は糧です。大人になったら幼少期の失敗とは比較にならない大きな失敗をするでしょう。その時、あなたは子どもの側にはいません。自分一人で立ち上がり次の策を講じなくてはなりません。コケることを知らずに育った子どもたちがその時どうなるのか…を見据えても尚、今のままの愛情という名の過干渉を続けますか?
未来の子どもを見据えた選択を。
ethical is happy💛